Top >  千と千尋の神隠し >  「千尋」と「千」

「千尋」と「千」

千尋は人間でありながら油屋で働くために湯婆婆と契約を交わします。このとき千尋は契約書に「荻野千尋」と名前を書きますが、湯婆婆は「ぜいたくな名だね」と言って、魔法で「荻野」と「尋」を消してしまいます。この時から千尋は「千」と呼ばれるようになります。しかし、何故に「荻野千尋」がぜいたくな名前になるのでしょうか?湯婆婆にとっては油屋で働く人間に名前があること自体がぜいたくなのでしょうか?このことは後にハクが千尋に「湯婆婆は相手の名前を奪って支配するんだ。名を奪われると帰り道が分からなくなるんだ…」と言っていますが、そもそも名前があるということは、個人が人間として認められていることになります。しかし、ここで千尋は単なる「千」と呼ばれることになったのです。この「千」をどうのように解釈するべきでしょうか?単なる数字、番号として考えるなら、「千」でなくて「1000」でもいいわけです。また、千尋という名前に関係なく「3」とか「4」とかの番号を付ければ良いはずです。つまり、千尋を「千」と呼ぶことは単に従業員を管理するうえで番号化したわけではなく、油屋で働くための愛称として呼んでいることになります。湯婆婆は千尋の両親は親として失格で、子供をほったらかして目の前のご馳走に夢中になるような親は豚に変えられても仕方がない、といったことを話してします。そのことから湯婆婆は千尋の本来の親の役目を買って出たのではないでしょうか?千尋を油屋で働かせることで新たに蘇らせるため、千尋に新たな名前を授けたとも考えられるのです。

 <  前の記事 再生のプロセス  |  トップページ  |  次の記事 オクサレ様  >